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9月12日、埼玉県で公立中学校の男子生徒が、10階建て市営住宅の敷地内で頭から血を流して倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。警察は飛び降り自殺とみて捜査していると伝えられる。この生徒は、9月3日の2学期の始業式翌日から学校を休んでいて、自殺の日の12日は「登校する予定」になっていたという。
夏休み明けの2学期の始業式の前後は、中学生、高校生の自殺が集中する。今年は報道そのものが減っているが、昨年は8月末から10月までの間に、10人近くの中高生の自殺が報じられている。
一般に、自殺は4月の春先に多いとされているが、中高生では5月と9月にピークがある。この時期は、不登校のピークとも一致しており、今日・明日から学校が始まるという日の自殺は、不登校と決して無関係ではあるまい。
最近の不登校対策では、不登校の「予防」が重視され、3日欠席が続くと、校内にプロジェクトチームを立ち上げるなど、学校上げての体制を取り、家庭訪問やスクールカウンセラーによるカウンセリングなどにより、とにかく休ませないようにする。
昨年度中に30日以上不登校を理由に学校を欠席した児童生徒が、5年ぶりに増加し、中学校では出現率が過去最高になったことを受けて、不登校出現がピークになる2学期当初に、学校関係者は神経を尖らせていたであろう。
この件でも、12日から「登校する予定」になっていたという報道からは、先週末あたりから家庭訪問などを繰り返し、生徒との間で、休み始めた日から1週間後の、12日に登校する約束を取り付けたのであろうことが、容易に推察できる。
学校に行けなくなった子どもは、行くべき学校に行っていないことへの罪悪感や、学習が遅れてしまうことへの焦りなどから、学校に行かなければならないという意識は強い。親も教師も、学校に戻ることを強く望んでいる。
こうした状況で、「何曜日から」「何日から」登校するというように提案にされる。親も教師も、再登校する以外の答えを期待してはいない。再登校を約束するまで、親も教師を子どもを解放しない。孤立無援の子どもは、首を縦に振るしかない。
しかし、いざ約束の日になると、身体が不調になったり、登校する気力が出なかったり、どうしても行きたくなかったりして、登校できないことが多い。すると、さらなる罪悪感、挫折感に加え、約束が守れなかったことからの自己嫌悪が子どもを襲う。
不登校は、学校に行かなくなったその日から突然始まるものではない。それまでに、「行こうか、休もうか」という長い葛藤があって、ついに行こうに行けなくなる。心身の疲れ、心の傷、気持ちの混乱など、さまざまなものを解決した後でなければ、再び登校することは難しい。
場合によっては、無理をすれば再び登校できることもあるが、それは単に今まで以上に無理を重ねて、解決を先延ばしするだけで、やがては「再発」し、事態はさらにこじれ、回復に要する時間も、年単位で延びていく。
何とか休ませないようにするのは、不登校を出したくない、不登校の数を減らしたい、世間体が悪いなどといった、「大人の事情」もあろうが、崩壊しつつあるとはいえ、いまだ根強い学歴社会の中で、子どもの将来を心配してのこともあろう。
しかし、死んでしまっては将来はない。行かない、行けない、行きたくないという、「今」を大切にして、子どもの心が落ち着くのを待っても、決して遅くはない。
秋吉 俊邦
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