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本当に命の大切さを知らないのは大人達では?


Y・I 24歳

大人達は、いつも、いじめ自殺が起きたりすると、マスコミなどでも、「学校が命の大切さを教えるために緊急集会を開いた」とか、「今の子どもは命の尊さを知らないで、ちょっと辛い事があったりすると自殺してしまう」とか色々、言われていますが、あなた達、大人は、いじめられている子どもに、本当に命と心を削ってまで学校に行く事を強要していませんか?

まず私もそうでしたが、自殺しようとしている子どもは、「命はお金なんかでは買えない、かけがえのない大切なものだ」という事ぐらい100も200も承知です。

しかし、学校には、とても生きている人間が一日中、耐えていられないような残酷ないじめがあって、行けないような状況なのに、毎朝、怒鳴られたり、激しい暴力を振るわれたりして登校脅迫をされて、生きている中で最後の自己防衛的手段としての「不登校」という手段(道)を断たれてしまって、「自殺」という手段を選択せざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。

昨年11月12日、埼玉県久喜市で学校の相談室に通っていた二人の中学3年生の女子生徒が、「生きていることに疲れた」、「学校の友達と比べられたり、勉強の事を言われたり、何で生きているのかわからない」という遺書めいたメモを残し、立体駐車場からから飛び降り自殺をしました。

新聞などによると、一人は1年生の3学期から、もう一人は2年生の初めから、「教室に入りづらい」との理由から、「さわやか相談室」に通い始め、ほぼ毎日、時間通りに通い、学習プリントなどをしていたという。

学校側は、「さわやか相談室に強制的に通わせるような事はなかった」と話していたが、一方で相談室では、クラスメートとの関係を維持できるようにと、一緒に授業を受けさせたり、給食を食べさせたりし、教室に戻るように積極的に働きかけていたてという事です。

はっきり言ってしまえば、私のような体験者からすれば、このような教室に戻そうという積極的な働きかけを毎日のように続けられていた事が、更に子どもを追い詰め、自殺を実行させる最後の引き金になっていたという事は、明らかてす。

教頭は、この事件の後で、「彼女達は、集団の中に入ろうとするよりも、二人で仲良くなり集団とは逆の方向に向いてしまった」と話し、自殺の動機についても「全くわからない」と困惑気味だったという。

はっきり、単刀直入に言ってしまえば、昨年の女子中学生の自殺は、親や学校、周囲の大人達が、子どもが学校に行きたくない、あるいは行けないという事を認めてくれてさえいれば、つまり不登校になれる、安心して休める環境が整ってさえいれば、自殺は防げたのではないかと思いますし、彼女達は、自殺してまで自由になろうという必要性が見出せなかったのではないだろうか・・・。

今回の場合では、学校に行かれない状況にも関わらず、親や学校などからのプレッシャー(相談室登校なども教室にも家にも居られないという状況の中で、唯一の居場所として、仕方なしにでも、それを選択せざるを得ない状況に追い込まれてしまっていた)、つまり間接的な登校強制により、仕方なしにでも行かざるを得なかったのではないだろうかと思います。つまり、行けないような状況なのに、行かなければならなかったのでは・・・。

しかし、そのさわやか相談室では、陰に陽に教室で授業を受ける事を強制されていたようです。 つまり、子どもから、「自分を守るためには、これ以上、頑張れない」(この言葉をそのまま子どもが言うわけではありません)という命がけのSOSのメッセッージが発せられていたにも関わらず、それに気づけずに、何が何でも教室に戻そうという学校や専門家の姿勢が、子ども達を自殺に追い込んでしまっていたのは、ごく当然の事だろうと思います。

ただ、学校にも、家にも居られないような状況だから、子どもはすぐ簡単に自殺したくなるかというと、そんな簡単ではありません。

学校に行けないで居る子どもの多くは、行けない、行かない自分に、多かれ少なかれ、罪悪感や引け目を感じています。そして、その事で、親が物凄い悩んでいる事も敏感に察知しています。それに、世間の学校信仰社会の価値観も十二分に察知しています。

そうすると、子どもは、「自分が学校に行かないでいる事で親をこんなに苦しめてしまっている」と思って、「こんな自分はだめなんだ」、「こんな自分は生きている価値がないんだ」という風に、どんどん自分を責め続けてしまいます。

そして、自分で、そんなダメな自分が、どうしても許せなくなってきてしまい、リストカットや自傷行為、自殺未遂、家庭内暴力、拒食、過食などを繰り返し、親や家族に、「こんなに苦しんでいるのをわかってよ!」という最後のSOSを必死で発信しているのです。

それなのに、いつも大人達は、子どもの自殺が増えると、「命はかけがえのない大切なもので・・・」などとお説教していますが、子どもに自分の命を削ってでも、とにかく学校だけは行かなければならないという事を、言葉はどうであれ、知らず知らずの内に、そういう価値観を押し付けていないだろうか?

その結果、その価値観に洗脳されてしまった子どもは、どんなに頭では、「命はお金では買えない尊いものだ」とわかっていても、自分の心と命を削ってでも学校に行く事を選択せざるを得ないような状況に追い込まれてしまい、知らず知らずの内に、「親に取っては、自分の命よりも学校の方が大事なんだ」と思い込まされてしまっていたのではいないだろうか?

親や学校などからの拘束やプレッシャーなどがなくても、家で安心して休めるような環境が整っていたとしても、それでも彼女達は自殺を実行しただろうか・・・?本当に自殺しなければ、学校の束縛から自由になれなかっただろうか・・・? 非常に、それだけが心残りで悔やまれてなりません。

大人達は、いつも子どもの自殺が増えると、命の大切さばっかり訴えたがりますが、そんな事を言うんでしたら、一方で、「とにかく学校だけは、命を削ってでも来なければならない所だ」(直接そうは言いませんが)とか教え込んでいる学校の先生や親、専門家などは、一体、何なんでしょうか・・・?

そう言う大人達が、子どもに学校や周囲に合わせる事ばかりを強要し、命を尊重して受け止めてもらえなかったからこそ、子ども達は自殺にまで追い詰められてしまうのです。

そんな事を言っている親や学校の先生、専門家などに一言言いたいのですが、「子どもと学校、本当に大切なのはどっちですか?」

・・・というと「子どもに決まっているだろ」という方がほとんどだと思うのですが、そうしていくと、子どもの命からのSOSのメッセッージを無視してでも無理矢理、学校に行かせようとするというのは、口で言っている事とやっている事が矛盾しているような気がするのですが・・・?

とにかく、「学校は、子どもが命を削ってでも行かなければならない所ではない!!」と、わからん教師や教育委員会、文科省、心の相談員や精神科医、カウンセラーなどと呼ばれている、いわゆる「専門家」にも強く訴え、警告しておきたいと思います。

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