この春
4月初め,息子は自分なりの道を見つけて巣立っていきました。埃まみれだった自分の部屋をきれいに片付けて。「机の引き出しの中からテストの点の良いのだけを集めているのが出てきた。馬鹿だったよな,こんな物どうでもいいのに。」という嬉しい言葉も聞かせてくれました。馬鹿だったのは,そんな価値観を植え付けた親の方です。こんな馬鹿な親の目を覚ましてくれた,そして乗り越えてくれた息子に感謝しています。
高校1年の2学期の終わりに,高校を辞めて専門学校に行きたいと息子が言い出しました。息子の成績のことで私が学校に呼ばれ,そのことを家で夫と息子と3人で話をしているときでした。学校生活に対する不満をいろいろ言う息子に,そんな不満なんて世間に出ればいくらでもある,多少の我慢は仕方が無い,と夫婦揃って言いました。高校も出ないで,これから先就職だって不利になる,せめて高校だけは卒業してくれ,とも言いました。自分の気持ちを理解してくれない親との話し合いはつらかっただろう,と今になって思います。
それから昼夜逆転が始まりました。私はどうしたら良いのか分からず,オロオロしていました。突然真っ暗なトンネルに入ったような気持ちでした。何をしていても涙が出てきます。運転中に,前が見えなくなり何度車を止めたことでしょう。何か手がかりが欲しくて,不登校に関連したホームページを見るようになりました。その中のひとつに思い切って電話してみました。そのとき言われた言葉は,「お子さんは今とてもつらいですね。」でした。高校を辞めた息子に将来はないと落ち込んでいた私には,息子のことを思いやる余裕はありませんでした。けれど,その一言はなぜか私の心にスッと入ってきました。「私ではなく息子がつらい」そんな当たり前のことに気づかせてもらいました。
不思議なことに,その日から息子の昼夜逆転はなくなりました。とはいっても,学校に行っているときに比べれば生活時間はずれています。朝ゆっくり起きてきた息子は,私の表情を伺うような目つきで私を見ました。「目は口ほどにものを言い」という言葉がありますが,本当にそうでした。こんな時間に起きてきた自分をどう思っているんだろう,と私の顔色を伺う気持ちがひしひしと伝わってきました。それでも私は明るい笑顔で「おはよう」と言うことはなかなか出来ませんでした。なんとかこの状態から抜け出したくて,自分の心を受け止めてもらえる場所を探していろいろなところへ相談に行きました。
3月になって,息子が退学したいと言いました。夫も私も,息子には学校生活をやり直す気持ちのないことは分かってきましたのでそうすることにしました。退学届けの書類を高校の事務所に届けただけで,あっけなく高校との縁が切れました。16歳の子どもが,自分の生き方を変えようとして学校を辞めようとしているのに,校長からは何の働きかけもありませんでした。夫に言わせれば,そんなもの,だそうです。そうなんですか?他の学校でもこういう対応なんですか?その日,高校の事務所でたまたま見かけた校長は,私が誰で,何の用で来ているのか知らないはずです。
後日,私は担任に呼ばれて学校に残していた荷物を取りに行きました。担任に挨拶をして背中を向けたとき,「こんな高校,辞めてよかった。」と思いました。私の目から見た担任は,「自分のクラスから学校に来ない生徒が出ました。自分はそれに対してこれだけのことをしました」と学校に報告するためだけに動いているとしか思えない人でした。
私は,誰か息子の気持ちを分かってくれる人が欲しかった。この学校には合わなかったかも知れないけれど,別の道を見つけて下さい,と息子に励ましの言葉をかけてくれる人が欲しかった。今でもあの校長と担任の顔を思い浮かべると,悔しい気持ちになります。
息子の選択を肯定してくれる人があったら・・・・。
もっと早く親の会に参加すればよかったと思っています。
その後,高校から『退学許可書』というものが送られてきました。許可なんてしてくれなくていい,退学願いを受けてもらえればそれでいいのに。こんな物に何の意味があるのですか。いかにも「お役所」の仕事,という処置がとても不愉快でした。
高校の退学を決めたとき,手続きする時期は逃しているけれど,専門学校に頼めば何とか入学できると思うよ,と息子に言ってみましたが動きませんでした。
それから1年。今,その行きたいと言っていた専門学校の手続きも終わりました。学校の説明会に行くことも,願書を書くことも,息子が自分で動くまで私たちは何も言いませんでした。自分の人生なんだから,自分で決めて自分で動けばいい。そんなふうに落ち着いて息子の様子を見ていられるようになりました。いえ,その時はそうするように努めていた,と言うのが本当のところです。
「家を出て行くときには,部屋を片付けていく」と言っていたのですが,日が迫ってきても全然動きません。私は,「本当にこの子は家を出て行くのだろうか?ゲームばっかりして,片付ける気があるのかな。まあ行かなくてもその時はその時だ」と何も言いませんでした。すると,前日になってようやく片付け始めました。
しばらくして,「新しいゲームを買っちゃって,この何日か夢中でやってしまった。どうしよう,今日中には片付かないかも知れない。」と言ってきました。「手伝おうか?」と言うと「お願いします。」と言うので,二人で片付けました。いつもは人の言うことなんか「ハイハイ」と軽く聞き流すのに,片付けている間は素直に言うことを聞く息子がおかしくて,何ともいえない楽しい時間でした。
この1年という時間が,新しい道を踏み出すために息子に必要だったように,私にとっても必要な時間でした。自分の子供を信頼して任せることが出来ずに,今までいろいろ口を出してきました。今はなんだってOK!です。「やっぱり,専門学校を辞める」と言い出したとしても,私は受け入れられるでしょう。
何を話しかけようかと迷うほど暗い顔をしていた時期もありました。いつもタオルを頭にかぶっていました。パソコンに向かったり,ゲームをしたり,ビデオを見たり,寝る時間も起きる時間も様々に変わりました。
「高1の夏には高校を辞めようと思っていた」と息子が後で話してくれました。その夏休みの8月,息子の足に激しい痛みが起こりました。複数の病院で検査しても原因は判らず,痛み止めも効かないまま何日か過ぎました。息子の体に何が起こっているのか分からず,不安な思いを抱えながら,苦しむ息子の足をさすってやることしかできませんでした。たまたま知った治療院に通って痛みは取れましたが,あれは言いたいことが言えないストレスだったのではないかと思います。「最低でも高校は卒業して欲しい。」と考えている親に対して,「高校を辞めたい」と言い出すことはできなかったでしょう。体を痛めつけるほど辛い思いをさせてしまいました。申し訳ない思いでいっぱいです。
「不登校を考える会」に参加した人から,良かったよ,と聞かされて初めて参加したのは7月でした。その頃の私は,自分の生き方が息子に影響したのではないかと自分を責めていました。夫の両親と同居で,当初は義妹たちもいました。いい嫁でいることを要求され,自分もそうすることが幸せなんだと思い込み,自分の感情を抑えている生活でした。そんな中で息子も我慢しなくていいことまで我慢する生き方を身に付けてしまったのではないか,私が息子を追い込んだのではないか,と。
そんな私に,会で知り合った方から「その時その時,出来るだけのことを精一杯してこられたんでしょう?自分を責めなくてもいいと思いますよ。」と言っていただきました。どんなにありがたい言葉だったでしょう,私の心を救っていただきました。
不登校について学んでいくうちに,親が子供のことで暗い顔をしているより,幸せに生きていることが子どもにも嬉しいことだということも知りました。息子のことがきっかけで仲良くなった人たちと,外でよく会いました。お互いの子どものことはもちろん,今までは人に言えなかった家の中のことも話せるようになりました。
私の気持ちはだんだんと軽くなっていきました。息子も,タオルをかぶる時間がだんだんと減り,いつの間にかかぶらなくなっていました。ふと気付くと,気を遣わずに息子と会話が出来ていました。つい最近,私の愚痴まで聞いてくれました。
暗く落ち込んでいた頃を思えば,「息子の人生は息子のものだ。息子が自分で決めていけば良い」と思える今はとても幸せです。「我慢ばっかりしてないで,自分を大切にして,自分の感情を素直に出して生きようよ。」と息子を通して教えられたと思います。親の会でお知り合いになった方たちは,皆さんとても優しくて明るいです。こんなに素敵な人たちと出会うことが出来たのも息子のおかげです。
『学校へ行きたい子は行けばいい,行きたくない子は行かなくていい』,なんて1年前の私には考えられなかったことです。息子の「不登校」は3ヶ月でしたが,私の人生観を変えてくれた「不登校」に感謝しています。
そして,これからも親として息子を見守って行きたいと思います。
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